ホンダとつかむ夢 -motorsports的blog-
ホンダエンジンで世界制覇を!ホンダバカ男が送る戯言記。
スポンサーサイト
--年 --月 --日 (--) --:-- | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[8耐]フレディー・スペンサーとも一期一会
2005年 07月 28日 (木) 09:17 | 編集
昨日は「加藤大治郎」との一期一会の話題を書きました。

加藤大治郎は逝ってしまいましたが、1999年の8耐へ
行った時には、彼が亡くなるなんて夢にも思って
いませんでしたから、正直「加藤大治郎と会いに」と
言う感覚は皆無でした。

どちらかというと、この年、ホンダから
「ドリームチーム100」としてエントリーしてきた
フレディー・スペンサーとジョン・コシンスキーのペア
に私の思い入れはあったと記憶している。

フレディー・スペンサーと言えば、私がバイクに興味を
持ち出し、WGPという選手権の存在を知ったのが
1980年頃。

勿論私のヘルメットはアライのスペンサーレプリカ。
ダイネーゼのツナギもあこがれだった。

当時ホンダは2ストローク全盛の時代にNRという4スト
にチャレンジをしていた時期で全く成績は振るわず、
スズキの黄金時代であった。

そこにケニー・ロバーツがアメリカからひょこっとやって
来て、ヤマハと共に3年連続のチャンピオンを決めた。

この事態にやっと重い腰を上げたのがホンダであった。
2ストローク3気筒(ここで3気筒なのがホンダですよね)
の新型開発マシン「NS」を1982年シーズンより投入。
その時にアメリカから連れてきたのが、若干20歳の
フレディー・スペンサーであった。

この年ベルギーで初優勝を飾り、翌1983年シーズンは
同じアメリカ人のケニー・ロバーツと歴史に語られる
戦いを繰り広げる。

12戦中ケニー6勝、スペンサー6勝というまさしく死闘の
中、わずかなポイント差でスペンサーはタイトルを獲得する。

その当時からホンダファンであった私は、この結果に
一喜一憂ハラハラドキドキしていたことを昨日のように
思い出す。

その彼ともしかしたら会えるかも・・・
それが私にとって1999年8耐の最重要ポイントであった。

その目標はあっさり達成される。

金曜日に鈴鹿のオートキャンプ場へ設営を終え、本コース
に向かい、パドックへの地下通路を通り、上がった瞬間・・・・・

私の前を、数人のスタッフと共に横切った群れの中に、
ひときわ長身の彼がいた。
勿論話しかけることなどできなかったし、写真すら撮る寸秒の
タイミングもなかった。

まさに不意打ち遭遇である。

瞬間凍り付いたように足が止まった自分を覚えている。
本当に感動で鳥肌が立った。不思議な感覚だった。

これがスペンサーとの今のところ「一期一会」だ。

結局彼は練習走行で転倒し負傷。予選も挨拶程度に
周回しただけで、本戦は武田雄一にバトンを渡すこととなった。

この時彼の走りを見れたらどうだったろうか?
そんな野暮なお話はなしです。
この瞬間の事を私は宝のように大事に記憶している。
ただそれだけである。

**************************

スペンサーと共にレースをリアルタイムで見てきた私には
ニッキー・ヘイデンの登場は、私にスペンサーを思い出させた
事は言うまでもない。
まさしく私にとっては「同じ」と言っても過言ではない。
そして、スペンサーと同じように思い入れがある選手だ。

スペンサーほど鮮烈で華々しい活躍を残している訳では
ないが、ニッキーのアメリカGP優勝は、とても感動的であった。

そんな彼にも会えるように、鈴鹿8耐はmotoGPと同日開催
というスケジュールに関し、何とか再考願いたいというのが
私の思いであり願いでもある。

メランドリや玉田、ヘイデン、バロスが走り、国内勢とガチンコ
する8耐をまた見たいと思うのは私だけではないはず。


Comment
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL :
comment :
password :
secret : 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright (C) ホンダとつかむ夢 -motorsports的blog- all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。