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[motoGP] 1987年、鈴鹿の記憶
2015年 11月 17日 (火) 07:00 | 編集
1987年春
鈴鹿8耐へのトップライダー参戦、
そしてこの大会への入場者数が20万人を越え、
平忠彦の国内人気が2輪競技への人気を後押しし、
遂に日本でも「2輪世界選手権」が開催されることとなった。

場所は鈴鹿サーキット。

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遂に、世界選手権はこの日本へとやってきた。
当時のTV放送は、鈴鹿8耐のダイジェスト放送を担当していた
TBS系列の放送局、CBCであった。

折角の世界GP開催も、決勝日は冷たい雨。
しかし、TV観戦者も含めその熱は高かった。

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当時の日本国内2輪レース界の牽引者はこの人。
予選5番手の平忠彦(ヤマハ)は中須賀にも繋がる21番。
このレースだけ「TECH21」カラーでの参戦であった。

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そして、この年チャンピオンとなる、ワイン・ガードナー(ホンダ)の
チームメイトが、現在ワールドスーパーバイク選手権などの
解説でおなじみの八代俊二である。(予選4番手)

r0197.jpg
凄いです。
フロントローから5・4・5・4・・・・といったグリッド。
いかに現在が安全さを求められているかが解ります。

ポールポジションは、国内で新沼謙治と陰で呼ばれた
ホンダの新鋭ニール・マッケンジー
以下ローソン、ガードナー、八代、平

r0198.jpg
何故「ダンロップコーナー」と呼ばれるか・・・
これでおわかりでしょう。
フランスはル・マン・サーキットのようにアーチがあったのです。
いつ取り外されたのか、記憶もないですが。

コーナーにはサンドトラップもない時代です。
ある意味驚愕。
そしてもの凄い観客数が当時の熱を感じさせます。

r0199.jpg
デグナーもこのレースではまだ1つの円でした。
翌年には現在のレイアウトに改修されます。

r0202.jpg
優勝はこの人。ヤマハの新チーム、”キング”ケニー・ロバーツ率いる
「ラッキーストライク・ヤマハ」のランディ・マモラが圧勝します。

この要因には、決してドライでは優勢じゃないこの年のヤマハYZRに
新規参戦の「ダンロップ」タイヤを装着したのがこのチーム。
(他チームはミシュラン)

このダンロップのレインタイヤがもの凄い性能を発揮したのです。
(監督のケニーも若いな)

2位には優勝争いに全く関与できない我慢のレースで
ホンダのワイン・ガードナー

3位にはスズキからスポット参戦した伊藤巧が入り、
表彰台に立つという快挙を成し遂げた。

尚、250ccクラスは、この年結成されたホンダのワークスチーム
「味の素ホンダレーシングチーム」の小林大が優勝を飾っている。

まだまだ、サテライトが優勝を果たせる、
「チューナーの腕」+「ライダーの技量」が通用する時代であった。
そして、今映像を見直すと、「安全」とはほど遠い環境の中で、
観客の熱だけに押されていた、ある意味「良き時代」のGPの姿を
かいま見ることが出来る貴重な映像である。

そして、翌年、この地で
ペプシ・スズキ・RGVγに乗るケビン・シュワンツがセンセーショナルな
デビュー・ウィンを飾る。

来たるべく90年代のシュワンツvsレイニー時代が幕を開ける。



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